俺もこの話を聞いた時、「またいつものやつか」って思ったんだ。 でもな、今回は様子が違った。 傲慢な取材クルーを待ち受けていたのは、彼らの歴史認識を根底からひっくり返す、想像を絶する『真実』だったんだ。
今回は、韓国KBSの記者がパラオで返り討ちに遭った一部始終と、現地の人々が語った日本統治時代の驚くべき実態について、徹底的に解説していく。 これを知らないと、俺たちがどれだけ歪んだ情報に囲まれているか、マジで気づけないかもしれないぞ。
まず、この企画の発端からしてヤバい。 視聴率の低迷に悩んでた韓国のテレビ局KBSが、「反日ネタなら数字取れるだろ」っていう安易な考えで海外ロケを計画したんだ。 ターゲットに選ばれたのがパラオ。 新日国として知られてるからこそ、『そんなパラオでさえ韓国を選ぶ』っていう画が撮れれば大スクープになると踏んだわけだ。
取材と司会に抜擢されたのは、ゴリゴリの反日教育を受けてきた人気キャスター、ユン・スヨン。 彼女は「日本は侵略国家で一度も謝罪していない」っていう歴史観を疑いもせず、意気揚々とパラオに乗り込んだ。
最初に彼女が目をつけたのはパラオの国旗。 日本の日の丸に似てるデザインを見て、「まさかパクリ?」なんて疑う始末。 調べたら「月と太平洋」を表していて日本とは無関係だと知り、「なら安心ね」だと。 この時点で、彼女の歴史認識の浅さが透けて見えるよな。
そして現地での街頭インタビューが始まるんだが、これがまあ悲惨だった。 スヨンが「日本より韓国が好きですよね?」ってマイクを向けると、パラオの人々は戸惑いの表情でスルー。 首からぶら下げた『韓国旗の入った社員証』を見た途端、サッと顔を背けて去っていく始末。
それでもスヨンは「恥ずかしがってるだけよ」とポジティブ(?)に解釈。 「韓国が作った『KBブリッジ』は立派でしょう?感謝の気持ちを聞かせて!」と食い下がるが、現地の人々は深いため息をついて黙って立ち去るだけ。
この時点で普通なら「何かおかしい」って気づくはずなんだが、彼女の思い込みは止まらない。 「心の中では『ありがとう韓国』って思ってるに違いないわ!」だってさ。 いやマジかよ。
スペイン・ドイツの地獄 vs 日本の統治…博物館で語られた衝撃の歴史
街頭インタビューに見切りをつけたスヨンは、次にパラオ国立博物館へ向かう。 「ここなら日本の非道な行いを知ってる人がいるはず」っていう、これまた一方的な期待を胸にな。
そこで捕まえた男性職員に、例のごとく「日本統治時代の被害について教えてくれ」と詰め寄る。 すると、職員が語り始めたのは、俺たちの想像をはるかに超える過酷な植民地支配の歴史だった。 ただし、それは『日本の話』じゃなかったんだ。
語られたのは、16世紀以降のスペインとドイツによる支配。 スペインは住民を強制労働させ、逆らう者を厳しく処罰。 ドイツはリン鉱石の採掘などで住民を無給で朝から晩まで酷使。 インフラ整備や教育なんてものは一切せず、ただ搾取するだけ。
伝統的な村のリーダーは権力を奪われ、逆らえば処刑か追放。
その結果、どうなったと思う?圧政と伝染病によって、パラオの人口はなんと『90%』も減少したんだ。 9割だぞ、9割。 国が滅びる寸前だったんだよ。
この話にスヨンも一応は神妙に聞いていたが、彼女の目的はあくまで日本叩き。 「で、日本はどうだったんですか?もちろん韓国の方が好きですよね?」と本題を切り出す。 職員は一瞬呆れたような顔をして、きっぱりこう言ったんだ。
『もちろん日本です。 パラオの大半がそう答えるでしょう』。
これにはスヨンも「おかしいじゃないか!日本も支配者だろ!」と激昂。 すると職員は「それなら、もっと詳しい人に会うといい」と、一人の長老を紹介する。 この出会いが、彼女の歪んだ歴史観を完全に粉砕することになるんだ。
紹介された長老、稲嶺(仮名)さんは、ドイツ統治下の地獄のような日々を生き抜いてきた人物だった。 彼の父親はドイツへの反乱に加わり、見せしめに処刑された。 そんな絶望の日々の中、突如としてドイツ兵が島から撤退していく。
そして現れたのが、日本軍だった。
「結局、支配者が変わるだけだ…」稲嶺さんをはじめ、パラオの人々は絶望した。長年の植民地支配は、彼らから希望を奪い、新たな支配者への恐怖を植え付けていた。
この話を聞いたスヨンは、待ってましたとばかりに勝ち誇った顔で言う。 「やっぱり!日本もドイツと同じレベルの支配者だったんですね!」。
しかし、稲嶺さんが語った現実は、スヨンの期待を180度裏切るものだった。
日本は、スペインやドイツとは全く違った。 まず、子供たちを学校に通わせたんだ。 それまで学校なんて存在すらしなかった島に、教科書や文房具、さらには給食まで支給して教育を行った。 衛生観念やインフラを整備し、島の生活は見る見るうちに豊かになっていった。
ドイツ時代に激減した人口は、日本統治下で回復し、3万3000人を超えるまでになった。 あれほど恐れていた日本兵とも交流が生まれ、夜な夜な酒を酌み交わし、歌を歌う仲になっていたという。
だが、そんな平和な日々に大東亜戦争の影が忍び寄る。 パラオのペリリュー島が、日米の激戦地になることが確実視されたんだ。 圧倒的な戦力差のアメリカ軍に対し、日本軍の守備隊長・中川州男大佐は住民の避難を決定する。
その時、パラオの若者たちが立ち上がった。 「俺たちも一緒に戦う!日本への恩返しだ!」と。
このエピソードを聞いたスヨンは、ここぞとばかりに若者たちを馬鹿にする。 「日本なんかに尻尾を振って、利用されて捨てられるだけよ」と。 その直後、稲嶺さんの口から衝撃の言葉が飛び出す。
若者たちの申し出に対し、中川大佐はこう言い放ったんだ。
『ふざけるな。 大日本帝国軍人が土人の力を借りるものか』。
この差別的な言葉に、パラオの若者たちは凍りついた。 スヨンは「だから言ったでしょ!これが日本の本性よ!」と大喜び。
だが、真実は全く違った。 それは、若者たちを戦いに巻き込まず、無事に避て難させるための、中川大佐の『苦渋の決断』だった。 全員玉砕を覚悟した戦いに、島の未来を担う若者たちを巻き込むわけにはいかない。 心を鬼にして、わざと突き放したんだ。
避難船が島を離れる時、森の陰から日本兵たちが走り出てきた。 中川大佐を先頭に、「元気でな!」「必ず生き抜け!」「戦争が終わったら、お前たちがこの島を立て直すんだぞ!」と、涙ながらに手を振り、叫び続けたという。
このペリリュー島の戦いは、アメリカ軍に「史上最悪の戦い」と言わしめるほどの激戦となり、日本軍守備隊は玉砕。 しかし、彼らはパラオの民間人を一人も犠牲にしなかったんだ。
崩壊した『韓国の橋』と日本が40年支え続ける『日本の橋』
稲嶺さんの壮絶な話を聞いてもなお、スヨンの態度は変わらない。 「結局、自分たちの戦争で勝手に死んだだけでしょ。 美談にすり替えるな」と吐き捨てる始末。
取材クルーは、これ以上日本を貶める話は聞けないと判断し、最後に建設会社に勤めるパラオ人男性にインタビューを試みた。 ここで話題になったのが、パラオにある『2つの橋』だ。
スヨンは、韓国の援助で作られた『KBブリッジ』の話を聞き、目を輝かせる。 「韓国の先進技術こそ世界の誇り!日本とは比べ物にならない!」と、またもや勝ち誇った顔。
しかし、男性は苦笑いを浮かべてこう言った。
『その橋は1996年に突然崩壊し、6人の犠牲者を出しました』
韓国が作った橋は、手抜き工事が原因で崩落し、パラオの経済に大打撃を与えたんだ。 国が混乱の極みにあったその時、手を差し伸べたのが、またしても日本だった。
日本は無償で新しい橋を建設。 それは『日本・パラオ友好の橋(ジャパン・パラオ・フレンドシップ・ブリッジ)』と名付けられ、今もパラオの大動脈として人々の生活を支えている。
男性は、冷たい目でスヨンに言い放った。
『韓国の援助は一度きりでしたが、日本は40年以上にわたって支援を続けてくれています。 私は正直、日本を馬鹿にする韓国の風潮が好きではありません。 他国を貶める前に、自分たちの技術や考え方を見直すべきじゃないでしょうか』。
この言葉に、スヨンは完全に沈黙。 取材はここで打ち切られ、彼らは静かにパラ-オを去ったという。
どうだっただろうか。 韓国メディアが描こうとした『悪逆非道な日本』という虚像は、パラオの人々が語り継いできた『感謝と尊敬の念』という真実の前に、もろくも崩れ去った。
歴史というものは、一つの側面から見ただけでは決して本質は理解できない。 特に、俺たちが学校で習う歴史は、誰かの意図によって編集されたものである可能性が常にある。
今回のパラオの話は、俺たち日本人にとっても、自国の歴史を多角的に見つめ直す良い機会になるんじゃないか。 そして、先人たちが異国の地で築き上げた信頼と絆を、俺たちは決して忘れてはならない。
この衝撃の事実、お前はどう思う?ぜひコメントで意見を聞かせてくれ。
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